自然と歴史が調和する街、萩。
明治維新の原動力となった萩には、彼らの足跡が多く残されています。
萩の街を散策するとき、ふと感じる風…それは彼らが感じた維新の風と同じなのかもしれません。

木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、8畳の講義室・10畳半のひかえの間・1坪の土間部分から成っています。松陰は、身分や階級にとらわれずに門下生として受け入れ、わずか2年半の間ではありましたが、久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋、山田顕義、品川弥二郎ら、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。国の史跡に指定されています。

松陰からは「有識の士」として将来を嘱望され、松陰の死を乗り越え、江戸修行や自ら試撃行と称した東北修行の旅で松陰の師である佐久間象山らと出会い成長していきました。奇兵隊はその後倒幕戦争においても諸隊の中核として明治維新に大きな歴史的役割を果たしました。旧宅内に晋作の写真や書などが展示され、邸内には自作の句碑「西へいく 人をしたひて 東行く 心の底そ 神や知るらん」や産湯に使った井戸があります。

天保4年(1833)萩藩医和田昌景の長男として生まれ、後に桂家の養子となったので、皆様には桂小五郎の名でも知られているのではないでしょうか。木戸孝允は生まれてから嘉永5年(1852)に江戸に出るまでの約20年間をこの家出過ごしています。この旧宅は、孝允誕生の部屋や庭園などよく旧態を残し、当時の藩医の生活様式を伺うことができ、国の史跡に指定されています。ここにはシルバーガイドが常駐し、施設の説明を行っています。

明治維新後、3回にわたって内閣総理大臣を務めた桂太郎の旧宅です。桂太郎は、萩藩士桂與一右衛門の長男として、萩城下平安古に生まれ、3歳の時に川島に移り住んみました。この旧宅は、明治42年(1909)に新築したもので、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために造られています。

旧宅は木造茅葺き平屋建て、29坪の小さなもので、萩藩の中間水井武兵衛(のち伊藤直右衛門と改名)の居宅でしたが、安政元年(1854)に博文の父林十蔵が一家をあげて伊藤家に入家し、ここに居住することになりました。国の史跡に指定されています。また別邸は、伊藤博文公が明治40年(1907)に東京府下荏原郡大井村に建てたもので、当地へは往時の面影をよく残す玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築しました。明治時代の宮大工伊藤万作の手によるもので、大広間の鏡天井や離れ座敷の節天井など意匠に優れています。
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