中国で生まれ東アジアに広まった思想で、その土地での自然・環境観やそれに対応した生活術のこと。
陰陽のエネルギーからなる「気」の流れを、地勢・方位などから読み取り、都市・住居・墓などをつくる時に土地の吉凶を判断します。
風水では、山を背にして南に開けた地で、全面に池や河川を臨む「背山臨水」、山丘が襟のように、川が帯のように囲んでいる「山川襟帯」、風をためて水を得ることができる「蔵風得水」、四神獣(玄武・青龍・朱雀・白虎)によって四方を守られた「四神相応」の地が、理想的な場所とされます。

中国で生まれ東アジアに広まった思想で、その土地での自然・環境観やそれに対応した生活術のこと。
陰陽のエネルギーからなる「気」の流れを、地勢・方位などから読み取り、都市・住居・墓などをつくる時に土地の吉凶を判断します。
風水では、山を背にして南に開けた地で、全面に池や河川を臨む「背山臨水」、山丘が襟のように、川が帯のように囲んでいる「山川襟帯」、風をためて水を得ることができる「蔵風得水」、四神獣(玄武・青龍・朱雀・白虎)によって四方を守られた「四神相応」の地が、理想的な場所とされます。
日本では古来から、京都をはじめとして、風水を利用したまちづくりが行われてきました。
桓武天皇が長岡京から平安京へと遷都する際、地層を占わせたところ、京都の地を山河襟帯、四神相応の吉地と判断。東の鴨川を「青龍」、南の巨椋池を「朱雀」、西の山陰道を「白虎」、北の船岡山を「玄武」に見立てたといわれます。
以後京都は千年以上日本の都であり続けました。
源頼朝が幕府を開いた地・鎌倉。
源氏の氏神様・鶴岡八幡宮を中心と考え、若宮大路を南北線に見立てると、三方を山に囲まれ、南が海に開けており、鎌倉も風水に適った地といえます。
山口のまちは大内氏の時代にルーツがあり、鎌倉と並んで中世の風水が残る数少ない土地です。
京を模してまちづくりを行ったといわれる大内氏は、京より陰陽師も招いています。
一の坂川が作り出した扇状地に山口のまちはあります。
かつて椹野川は舟が往来して外港へと通じ、町なかに石州街道と萩往還が交差する、財が行き交う交通の要衝でした。
東は椹野川/東山(青龍)
南は椹野川と仁保川の合流地点「出合い」/姫山(朱雀)
西は竪小路/鴻ノ峰(白虎)
北は七尾山(玄武)
によって囲まれ、龍脈から流れ込んだ気を逃さず保つ、風水理想の条件をみたす山口に、大内氏は館をおきました。
大内氏がみつけ育んだ風水のまち・山口。
今も残る風水スポットをまわって、気の流れを感じながら、元気の源を探してみてはいかがでしょうか?