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第二幕:密談・交流の地「山口・湯田温泉」


山口県の中央に位置する湯田温泉。萩から藩庁門が移り、長州の志士たちは
もちろん、坂本龍馬や西郷隆盛など各地の志士たちや、京都から下った三条
実美ら公卿たちが集まり、交流と密議を深めたよ。熱く語り、酒を交わし、
湯に癒され、明日への力とした彼らの躍動と息吹を感じる史跡もいっぱい!
あちこちの足湯も楽しみながら、名所をのんびり回ろう。


  • 1853
  • 年(嘉永6年)6月
  • ペリー浦賀来航
  • 1854
  • 年(安政元年)3月
  • 吉田松陰、密航未遂
  • 1857
  • 年(安政4年)*
  • 吉田松陰、松下村塾を主宰
  • 1858
  • 年(安政5年)9月
  • 安政の大獄がはじまる
  • 1860
  • 年(万延元年)3月
  • 桜田門外の変 
  • 1863
  • 年(文久3年)4月
  • 長州藩藩庁が萩より山口市へ移る ? 
  • *5月
  • 伊藤博文、井上馨ら「長州五傑」が渡英 ?
  • *6月
  • 高杉晋作、藩命により奇兵隊を編成 
  • *8月
  • 8・18の政変で三条実美ら七卿が京都を追放され、湯田温泉へ ? 
  • 1864
  • 年(元治元年)6月
  • 池田屋事件/伊藤博文、井上馨らが英国より帰国 ?
  • *7月
  • 禁門の変(京都・蛤御門)で久坂玄瑞ら自刃
  • *8月
  • 下関戦争(四国連合艦隊下関攻撃、長州藩降伏)講話談判 
  • *9月
  • 井上馨、袖解橋で遭難 ? 
  • *12月
  • 高杉晋作、赤間関に挙兵
  • 1865
  • 年(慶応元年)1月
  • 長州、美祢郡大田・絵堂の戦いおこる ❻
  • 1866
  • 年(慶応2年)1月
  • 薩長同盟成る
  • *6月
  • 幕長戦争開始(大島口で開戦)
  • 1867
  • 年(慶応3年)*
  • 高杉晋作死去、大政奉還
  • 1868
  • 年(明治元年)1月
  • 鳥羽・伏見で幕府軍と戦い以後、戊辰戦争に出兵 
  •  9月
  • 明治に改元、一世一元の制を定める 

松田屋ホテル

? 藩庁門 

七卿

? 七卿の碑 

元治元年

? 激動の1年伊藤博文、井上馨は帰国後十朋亭に宿泊。攘夷の無謀さを訴えるが、長州藩は強硬派の主導で禁門の変、下関戦争へ。9月には井上馨が襲われ長州藩の重臣・周布政之助が自刃したんだ。

 

? 井上馨、
袖解橋で遭難
藩庁から自宅のある湯田へ帰る途中、反対派に襲撃されて瀕死の重傷を負ったの。五十数針を縫う手術で奇跡的に助かったことで、歴史が変わったわ。

 

❻ 長州、美祢郡
大田・絵堂村の戦い
高杉晋作率いる奇兵隊などの諸隊が藩正規軍に勝利。長州の藩論は「倒幕」に統一されて、一気に明治維新へ進んだよ。

 

長州五傑

?「長州五傑」湯田出身の井上馨(後の初代外務大臣)、伊藤博文(後の初代内閣総理大臣)、遠藤謹助((後の造幣局長)、山尾庸三(後の工部卿・法制局長官)、井上勝(後の鉄道庁長官)の5人。近代国家の始まりに貢献したよ。

 

 

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第一幕:はじまりの地

湯田温泉から車で約40分。萩は、幕末~明治維新を動かした志士たちを数多く生んだ「はじまりの地」出身者には、伊藤博文、木戸孝允(桂小五郎)、高杉晋作、久坂玄瑞らが名を連ね、彼らを教えた吉田松陰の「松下村塾」は外せない歴史スポットだ。志士たちが学び、成長し、夢や志を抱いた土地の空気を吸い込もう!

吉田松陰

吉田松陰と
金子重輔
西洋文明との差を痛感した吉田松陰は、弟子と密航を決意。小舟でペリーの旗艦に潜入し、渡米を懇願したんだ。当時2人は23歳。国の将来を想う情熱と行動力には胸を打たれるね!

 

松下村塾

松下村塾〝村塾の双璧″といわれた久坂玄瑞・高杉晋作をはじめ、多くの志士たちが学んだ場所よ。松陰が教えたのは実質2年位だけれど、90名超の門下生を輩出して絶大な影響を与えたわ。

 

萩往還

萩往還江戸時代に、城下町の萩と瀬戸内海側の三田尻港を結んで整備された、全長53kmの街道。吉田松陰が江戸へ送られる際に詠んだ歌碑や涙松のほか、一里塚、茶屋跡、当時のままの石畳など見どころ満載!

 

高杉晋作

高杉晋作の旧宅当時は部屋数が20以上あったといわれる武家屋敷。晋作が産湯に使った井戸や、倒幕への想いを詠んだ歌碑も残っているわ。

 

 

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第三幕:たたかいの地

湯田温泉から、車で約70分。奇兵隊の本拠地が置かれた下関は、幕末~明治維新の動乱がいよいよ激しさを増し、クライマックスへ向かった「たたかいの地」。志士たちが信念を抱いて突き進み、多くの痛みと戦いの果てに、日本の近代国家が誕生したドラマチックな歴史の息吹を体感しよう。

大砲台

砲台跡(下関戦争)文久3年(1963年)、長州藩は関門海峡を通る外国船を攻撃。翌年、米英仏蘭の連合艦隊に報復されて、圧倒的な軍事力を前に「攘夷は困難」と悟り、倒幕へ動き出したんだ。

 

功山寺

功山寺
(赤間関挙兵)
鎌倉時代に創建された藩主・毛利家の菩提寺で、仏殿は国宝に指定されているわ。高杉晋作・挙兵の舞台として有名ね。

 

大砲台

回天義挙像元治元年(1964年)、幕府側に傾く藩論に対して反乱を決起する高杉晋作の像。当時26歳、約80名で決死の覚悟で臨んだ戦いが、その後の日本を変えたんだ。

 

東行庵

東行庵 (高杉晋作墓所)

 

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備えの地

湯田温泉から、車で約30分。風光明媚な中に、数々の幕末~維新の史跡が点在する防府は、「備えの地」。7代目藩主・毛利重就のもとで藩の財源確保のために開発され、海軍学校では、西洋式の造船・操船技術や英語を教えて人材育成。<未来に先駆ける>長州の気風を支えたものを思いながら、足跡をたどろう。

英雲荘

英雲荘藩主の参勤交代や迎賓館に使用され、萩城下~三田尻間を結ぶ「萩往還」の終点として、重要な役割を果たしたよ。三条実美ら七卿が約2ヵ月間滞在し、ここで高杉晋作と会談したのも有名!

 

防府天満宮

防府天満宮日本最初の天満宮で、「明治維新記念堂」も人気!官公を信奉し、明治維新を目前に、病で世を去った高杉晋作(享年29歳)の辞世の句「面白きこともなき世を面白く」の碑も必見よ。

 

楫取素彦

楫取素彦吉田松陰の友人で、松蔭の二人の妹を妻にしたよ(後妻が夫・久坂玄瑞を亡くした文(ふみ)、改名して美和子)。志士の活動を支え、維新後は初代群馬県令などを務めた後、防府で晩年を過ごしたんだ。

 

暁天楼

暁天楼防府天満宮にあった旅館の離れで、坂本龍馬や高杉晋作、伊藤博文をはじめ、多くの志士が滞在して密議を交わしたの。春は新緑、秋は紅葉が素晴らしい庭園もゆっくり楽しんで!