湯田温泉とゆかりのある著名人は、維新の志士だけではありません。日本のランボーといわれる詩人・中原中也も、実はこの土地で生まれ育った人物なのです。
明治四十(1907)年四月二十九日、中也は湯田温泉で医院を開業していた中原謙助、フクの長男としてこの地で生まれました。昭和四(1929)年に河上徹太郎ら友人たちと同人誌「白痴群」を創刊。昭和九(1934)年には第一詩集『山羊の歌』を出版し、詩壇に認められます。フランス詩の翻訳も手がけるなど広く活躍しましたが、わずか三十歳で短い生涯を閉じました。
その後、第二詩集『在りし日の歌』も刊行され、今も日本はもちろん海外でも多くの人々に愛されています。
中也の生家跡に建てられた「中原中也記念館」では、遺稿や遺品を中心に、貴重な資料を公開しています。また、高田公園に建つ詩碑では、中也がこの地を思い詠んだ「帰郷」という詩、錦川沿いにある詩碑には、小学校の教科書にもよく採用されている「童謡」という詩に出会うことができるでしょう。
「帰郷」
これが私の古里だ
さやかに風も吹いてゐる
ああおまへは何をして来たのだと
吹き来る風が私にいふ「童謡」 しののめの
よるのうみにて
汽笛鳴る。こころよ
起きよ
目を覚ませ。しののめの
よるのうみにて
汽笛鳴る。象の目玉の
汽笛鳴る。



その後、昭和十三(1938)年には湯田前町竜泉寺の上隣に移り住み、小郡・湯田の時代に、湯田温泉のことを多く詠んだとのこと。中でも錦川通りにある句碑に刻まれた作品は、ユーモラスにあふれたものとして親しまれています。